年間プログラム

2019年09月18日 - キラリ音楽祭矢野誠プロデュースfinal特別企画:矢野誠8時間ロングインタビュー『音楽の中へ』:第二章:壮年・風雲の候《その弐》

■■■2003:矢野誠『あむ~Bruckner Festival 2002~』

 

-----オーストリア・ツアーの好評からブルックナー・フェスティバル出演への出演も果たしましたね。

ツアーを終えてしばらく日本に戻っていた時に、やはり大きなフェスティバルで演奏したいと思い始めて出演希望を出したんですよ。そうしたら、間もなくオファーが来ました。ただし、『あむ~Bruckner Festival 2002~』は、ライヴでやったのとほぼ同じ音ですけどスタジオで録音したものです。というのも、ライヴの音源を使うのはちょっと憚られたから、フェスの後にブラス含めてメンバーは一旦解散。「お疲れ様でした。ところで明日空いてる?」って(笑)、翌日みんなでスタジオに集まって同録したんですよ。あのまま解散しちゃうのは何だかもったいなかったからね。

 

-----フェス用のリハーサルも積んだのですか?

あのスタイルは3か月ぐらい弾きまくらないと身体が憶えない。クラシック並みですよ。一心不乱に弾きまくって身体に染み込ませてから、メンバーに入ってきてもらうという段取りでやりました。考えたのはいいけれど、実際に弾くのはなかなか大変でしたね。緻密なまでに詰め込んだ左手のリズムと右手のメロディー、左をはずしたらお終いという、そういうスリリングな演奏も一度ぐらいはやってみようかなと(笑)。今まではプレイヤーを呼んできて、やらせてばっかりだったから。自分が思いっきりやるには良い機会かなって。子供の頃から練習嫌いで、ブラバンの時からアレンジャーとか指揮者だったでしょう。さらにピアノが上手い人とも知り合っちゃったから、ずっと分業のままで来てしまった。だからいつも逃げているような気がしていたの。一回ぐらいは取り組まなくてはならないと、ここは腹をくくって。

 

-----その3か月間のピアノ練習は日本で?

行ったり来たりでしたが、主に日本で練習しました。リンツのピアノ屋さんは、面白い音楽に挑戦するということに対してすごく愛があって、「君だったらいつでも、どのピアノを使ってもいいよ」って開放してくれた。そういうところは本当に友好的でした。ツアーして回るオーケストラが泊まれるようなホテルもあって、地下には練習場が必ずある。まさに音楽の街という感じでしたね。ライヴハウスもそう。酒蔵とかがホールになっていて、外の一階でみんな飲んでいるわけじゃないですか。そうすると、リハで弾いていても扉の前で惜しみなく拍手してくれましたね。

 

 

 矢野誠『あむ~Bruckner Festival 2002~』 

■■■2010:ひらたよーこ+矢野誠『少年』~2011:矢野誠『あむ~Piano’s うたう』

 

-----ひらたよーこさんとの出会いから共演盤『少年』を2010年に、その後『あむ~Piano’sうたう』を翌2011年にリリースされています。

『あむ~Piano’sうたう』は、それまでシリーズでやってきたことをシンプルにまとめたようなアルバムで、より気軽にリスナーが馴染める作風になっていると思います。ダイジェストでありながら、いろいろ試してきましたからオムニバス的でもあるのかな。でもライヴでは、『あむ』のコンセプトはしばらくやっていなかったんですよ。ここでまた、もう一回やりたいなあと思って、『あむ』シリーズでよく叩いてくれたドラマーの大光亘君に相談したら、彼と一緒にあなんじゅぱすというバンドをやっているひらたよーこさんが興味持ちそうだからって取り次いでくれたの。すると、彼女は僕のことを知っていて、『噫無情』とか『摩天楼のヒロイン』とか好きですよって話になった(笑)。聞くところによると学生の頃、ICUのワンダーフォーゲル部にいた時に『噫無情』が部室に置いてあったんだって。絶対に聴かなくちゃだめだというマニアックな部長のお達しと共にね。これまた不思議な縁で繋がって、すごく嬉しくなったんですね。

 

-----まずライヴの共演から始められたと。

そうですね。彼等の出番の合間に僕のコーナーを作ってもらって、そこで弾いたのが始まりですね。それから、今度はひらたさんの曲にもキーボーディストとして参加するようになってね。そのうち一緒に曲も作るようになった。そして、谷川俊太郎さんの詩に2人で曲を付けていくというスタイルがだんだん固まっていったような感じかな。谷川さんとは昔、『父の歌』(77年)という小室等のアルバムで知り合っているんですよ。谷川さんの作詞、小室さんの作曲、僕の編曲で全編やりましたから。一方、ひらたさんも谷川さんと親しかったので、そういう縁で『少年』が出来上がった時に、「しばらくぶりですね」って改めてご挨拶に行きました。ひらたさんが5曲、僕が6曲、共作で2曲、そして幕間のインスト2曲を僕が書いています。

 小室等『父の歌』


-----谷川さんの詩が最初にあったのですか?

それはだから、ひらたさんがあなんじゅぱすでやっている手法をベースにしているわけです。谷川さんのほかにも、遡って正岡子規とか百年来の先人の言葉にメロディーを付けて、その必然性を探求していくというやり方ですよ。あなんじゅぱすという風変わりな名前も、トリュフォーの映画『突然炎のごとく』に出てくる台詞「天使が通る- Un ange passe -」から拝借したという、そんなところも気が利いていて印象に残りましたね。その上、『あむ』の手法を使ったアレンジでも全く大丈夫だったのが、意外だったし少し驚いた。これちょっと難しいとか言われるのかなと思ったら、その逆でこれは面白いと。だから、ひらたさんとは気兼ねなくやれているんです。メジャーというかポピュラー方面の仕事では、遠慮してそれを出さないこともありましたから。フラット・フェイス高取淑子さんの『甘い水』(98年)の時は全面的に出しましたけど、さねよしいさ子さんの「天使のほほえみ」(99年)なんかでは半分出しぐらいにとどめています。

高取淑子『甘い水』 さねよしいさ子「天使のほほえみ」


-----場面で振り分けていたとは、相変わらず実験的ですね。

本当は常に全部出し、完璧主義でやりたいところでしたから、遠慮せざるを得ない場面では口惜しく思っていました。だけど、ひらたさんの場合はもう最初からOKで、ずっと今日に至っているわけですよ。演劇と文学もバックボーンに持つ彼女は、父親が作編曲家の筒井広志で早くから音楽の中へ飛び込んでいた。そこは僕なんかとも同じで、伺い知るに彼女なりのディティールの探求があったんじゃないのかな。ところで、『あむ』というのも勝手に名前つけちゃったんだけど、結局はリズムのことなんですよ。メディテーションとリズム。『百和香』の瞑想に対して『あむ』の祭りがあるだろうということ。日本の情緒に照らして言うならば、陰と陽。陰は能であり仏教であり、陽は阿波踊りであったり。それは世界史的にも、音楽史的にもそうですよね。それで僕は、リズム編に入ったところから結構長くなってしまって(笑)。メディテーションの方へはあまり行かなかった。そっちは細野君が行ったでしょう、アンビエント・ミュージックの方へ。

 

ひらたよーこ+矢野誠『少年』

矢野誠『あむ~Piano’s うたう』

 

■■■2011:矢野誠『地球のことづて』

 

-----『地球のことづて』は、富山での大掛かりな合唱ライヴ録音ですよね。

これは重要文化財である雲龍山勝興寺本堂の落慶記念コンサートを任されることになって、2年越しで携わったプロジェクトです。ここでは『あむ』色をちょっと弱めて普通のリズムで取れるようにしながら、ポリフォニックなコーラスの方へと突き進みました。そこから学生でも歌えるようにアレンジし直してね。とにかく、地元の市民によるコーラスでやりたかった。基本アカペラで、ベース・トーンも全部歌ってもらって。そのためのアンサンブルを高岡西高校合唱部と勝興寺特別編成合唱団の総勢40人以上で組みました。

 

-----簡潔ながらも丹念に練られたコーラス・ワークがスケールの大きい感動を誘います。

力強いソリストは、ウイーンで知り合ったテノール歌手の澤武紀行さん。富山は彼の故郷でもあるんだよね。それに紙谷弘子さんのメゾソプラノ・ソロ。僕が作曲と鍵盤に総指揮、浜口(茂外也)君がパーカッション全般、地球と人の営みというテーマに従っての全曲作詞は崎南海子さんにお願いしました。準備も大詰めの頃、永田どんべい君という顕子さんも担当していた名物マネージャーが最後の方で絡んできて、エンジニアの吉野金次さんを連れてきたんですね。ご存知『風街ろまん』や『ジャパニーズ・ガール』を手掛けた名匠エンジニアです。PAとは別に実況録音してくれて、後でリミックスしたものを何枚も送ってくれたんですよ。それだから、僕も吉野さんのところへ出向いてはリミックス修正を繰り返すことになった。その作業は10回近くやったんじゃないかな。そうして最終的に発売することになったのが、『地球のことづて』ですね。

 

-----レコーディングは吉野さんが持参したセットで?

そうです。あれは僕が頼んだわけじゃないから、自主的に用意してくれた機材ですね。でも、それがなかったら音源になっていませんから。おかげ様で確かな作品として残せて、後のキラリふじみでの合唱コンサートに繋げることが出来たわけですから、吉野さんにはとても感謝しています。


矢野誠『地球のことづて』

 

■■■2014:ひらたよーこ+矢野誠『クレーの天使』

 

-----再び谷川俊太郎さんの詩に曲をつけた『クレーの天使』は、『少年』の続編といった趣きですか?

結果的にそうなりましたね。だから2回目の試みということになります。『少年』のコンサートを杉並でやった時に、客席を眺めたら谷川さんがいらしゃったの。そして終演後にお会いした時、ひらたさんの膝の上に詩集をポンッと置いてくださった。それが、パウル・クレーが描いた天使の絵を観て書き下ろされた18編の詩だったんです。すぐに読んでみて、これならトータルな感じで出来そうだからまたやってみようと。しばらく準備にかかりましたけどね。

 

-----谷川さんの方から提示があったというのはドラマチックな展開ですよね。

ご自身でチケット買っていらっしゃったんですよ。しかも直々に渡されたわけだから、そこは真摯に受け止めなければならない。改めて気持ちを込めながら取り組みました。ただ、『少年』の時に確立した手法もいくつかあったし、既に『あむ~Piano’sうたう』で試していた曲もあったから、コンセプトの精度は上げられたんじゃないかな。そして『クレーの天使』が完成した際に、谷川さんをお呼びして朗読と音楽のコラボレーション・ライヴを渋谷クラブ・クアトロでやりました。

 

-----それは集大成と言えるイベントだったのでは?

言葉と音楽の提携というのはずっとテーマにしてきたところだから、こういう理想的なかたちで実現できたのは嬉しかったな。それにもうひとつ、絵画、現代詩、楽曲という連鎖を生み出せたことも感慨深かったですね。観る、読む、聴くと、何次元にも広がっていくソング・サイクルなんて、そう滅多に出会えませんから。こういう展開があるから、手法なんてものは大胆に自分で決めればいいんだっていう発想になっていくんですよね。もちろん、閃きと出会いは大切にしながら。

 

ひらたよーこ+矢野誠『クレーの天使』

 

(撮影協力:富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ)

《第三章:実年・求心の候》へ続く…

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