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2017年09月14日 - 【トークダイジェストレポート】 キラリふじみのアトリエ 『僕の東京日記』を語る

 キラリふじみのアトリエ
『僕の東京日記』を語る

作・永井愛×演出・田上豊 トークダイジェストレポート
聞き手 松井憲太郎(キラリふじみ館長)


9月15日(金)~19日(火)まで舞台『僕の東京日記』をマルチホールにて上演します。公演に先駆けて、キラリふじみ館長の松井憲太郎が聞き手となり、作、演出のお二人にお話を伺いました。トーク前半は永井愛さんがどんなことを考えて『僕の東京日記』を書いたのか、後半は田上豊さんが9月上演に向けどういう演出をしようとしているのかと、観劇がさらに楽しくなるエピソードをお話していただきます。

 

■1971年の実体験をもとにした作品

松井:本日はよろしくお願いします。この『僕の東京日記』は1996年に書かれた作品で、永井愛さんの戦後生活史劇3部作の3作目ですね。

永井:はい。1作目『時の物置』では1961年を、2作目『パパのデモクラシー』では1947年を、今回の『僕の東京日記』では1971年を描きました。当時の私は20歳。まさに青春時代でした。その頃といえば、学生運動が急速に過激化し、連合赤軍事件があり、ヒッピー、ベトナム反戦など、既成の価値観や政治に異議申し立てをした若者の元気のよかった時代がヒュッと収縮して気味の悪い終わり方をしたんです。そういう時代の青春群像劇を書きたいなと思って、45歳の時に当時を思い出しながら書きました。

松井:あさま山荘事件が1972年でしたね。

永井:よく覚えています。私は新劇女優を目指して桐朋学園芸術短期大学の演劇科に所属していました。専攻科に行く前の卒業公演ではセリフが7つしかない役で、満たされない思いで家に帰ると、あさま山荘事件のニュースが流れていた。その時代の空気を、何者かになろうとしてなれない不安定感とともに覚えているんです。それが『僕の東京日記』の主人公・満男にも反映されていて、彼は「大人になりたい!」という思いを抱えて、すぐそばに実家があるのに自立を目指してあえて下宿をする。私自身も大学を卒業したあと劇団の試験に落ちて行き場がなくなり、「働きながら演劇をやる」と見得を切って東京の実家を出たんです。材木屋の2階に廃材でつくった二間2万円のボロい部屋を借り、昼夜バイトを掛け持ちしながら頑張りましたが、結局、芝居をする時間がなくなって2年足らずで実家に戻っちゃったんですけど……。でも、貧しくても自立して生活している友達が羨ましかった。三畳一間で、襖は汚くて、共同台所、共同トイレ、ピンク電話があって、隣の部屋によくわからないヒッピーのような人や反戦運動をしている人や謎の女性がいたりする。あの頃は今と違って異文化が出会いやすかった。面白かったし、作品のモチーフになりましたね。

田上:まさに『僕の東京日記』の舞台となる下宿と同じ風景! 作品にもいろんな役が出てきますね、売れない新劇女優とか……

永井:彼女にはやっぱり思い入れがあります。私は新劇女優になりたかったんですから! 彼女がアングラの台頭に悩まされるように、他の登場人物にも古いものと新しいものが激しくぶつかった当時の揺れを背負わせました。私も主人公の満男も「変わらなければ!」という思いで家を出たものの、自 立もできないし、デモに行ってもついていけない。そんなコンプレックス いっぱいの若者たちが作品の出発点になりました。

田上:ラストシーンが素晴らしいのですが、なかなか書けなかったと聞きました。

永井:あれは、実は稽古中に書き直したものです。ネタバレにならないようにボツになった幻のラストシーンだけ言いますね! 公認会計士を目指して何浪もしている男が、夢破れた満男がぼーっとしてるところに「受かった?!」と叫びながら入ってきて抱きついて泣いて喜ぶ。ほかのみんなに比べ、彼だけが将来への手がかりを得たという終わり方で、時代としても学生運動やヒッピーが急速に衰えていったなかで経済的なものが勝っていったことをこの男に象徴させたんです。でも気に入らなくて、稽古場への登校拒否になりかけた。…そんな時に役者さんの一人に電話をかけて「ラストシーンが気に入らない。なぜかと言うと……」と話しているうちに頭の中が整理されてきて、今のラストのアイデアが浮かんだ。偶然にも、まるで最初から伏線がはってあったかのようなラストができました!

田上:前半のシーンのあれやこれやは狙った伏線じゃなかったとは驚きです!? 永井さんが書かれた3部作はどれも時代のターニングポイントですが、なぜそこを題材にしたんですか?

永井:ある夜、日清戦争時代の手毬歌を歌う祖母の声が響いてきて、「この人はそんな昔から生きていたんだ」ということを突然実感した。さらに、日露戦争、第一次・第二次世界大戦を生き抜いて、今ここにいる。祖母を通して壮大な歴史を感じました。それまでは、身内のことを書くとスケールが小さくなると思い込んでいたんですけど、個人の生活や考えを描くことは、そのまま時代の思想を描くことにつながる。生活の場から時代の変わり目をとらえることを意識的にやろうとしたのが戦後生活史劇3部作です。『時の物置』『パパのデモクラシー』と評価をいただいて、『僕の東京日記』でいよいよ私の実体験をもとに書ける時代を舞台にしました。

田上:そして今、いろんなところで上演される人気作品になりました。けれども初演をテレビ放送する際には大幅にカットされたと伺ったんですが? 

永井:おそらく担当者の自己規制ですよ。放送の直前に「放送時間の都合でカットします」と連絡があったんですけれど、見てみると過激派が登場する場面のみ大幅にカットされていました。あの時はカンカンに怒りましたね。

松井:そこをカットしたら物語がぜんぜん繋がらなくなってしまう。

永井:だから初演の映像には肝心なシーンがないんですよ。その場面ですごく良かった女優さんの姿は永遠に見ることができません。

松井:僕は劇場で初演を観ましたが、強烈に記憶に残っています。もう見られないのは残念です。

 

■46年経っても共感できるから上演する

松井:田上さんの話を伺いましょう。『僕の東京日記』を上演したい、というのは田上さんからの提案だったのですが、どういう観点からこの作品を演出しようとしているんですか? 

田上:まず、僕が永井さんに初めてお会いした話をします。僕は当時、桜美林大学で演劇を学ぶ1年生でした。そこに永井さんが特別講師として1日だけいらっしゃったんです。僕はまったく演劇に興味がなかったのに演劇学科に入っちゃったのでやる気がなくて、怒られてばかりいました。でも永井さんが俺のことを「面白いわ」と言ってくれて、それが大学の授業中に初めて先生に褒められたことだったんです。僕、この人好き、と思った(笑) その2年後、大学内で『僕の東京日記』の公演を観て、初めて永井さんの上演作品を目にしました。観る前は「昭和の劇なんて説教くさいんじゃないか」と構えてたんですが、実際には登場人物たちが活き活きしていて生活感があって、すごく面白かった。公演に参加してる大学生たちが羨ましく見えてすぐに台本を買って読んだという、強烈に印象に残っている作品なんです。

永井:そうなんですか、嬉しいです!

田上:それを今、2017年に1971年のことを上演するというのはどういうことなのかと考えながら創っています。時代が揺れてる今だからこそあえてこの作品を扱うべきだというのではなく、1971年にも社会背景を元に揺れている人がいて、そのことに少しは共感できる作品だからやってみようと思いました。実際に稽古をしていくと、脚本の力が強くて、永井さんがすごくパワーを持って書いたんだなと感じます。

松井:稽古場を見学させてもらうと、田上さんと俳優さん達がいろんな事を話し合っていました。こんなにも真剣に悩みながら創っているのかと思いましたよ。

田上:今回は僕の書いた脚本ではないので、僕にもわからないことが多い。俳優さんたちと並走しながら、一緒に「こうなのかな」と悩んでいます。お互いの想像力を合わせて共同で作品を生み出しているという感覚ですね。

永井:書いた私だってわからないことが多いんですよ。というのも、明確にわかっていることをそのまま書いたとしても実はたいしたことがない、といつも感じているんです。『僕の東京日記』は、「70年代の青春群像劇」に違いないですが、そのイメージを頼りにしながら、まだとらえきれていないことを発見していくのが、おそらく“劇を書く”ということ。それが芝居の見応えになるんだと思うんです。

田上:書く前と書き上げた後では、作品の印象はずいぶん違うんですか?

永井:違います。けれど出来上がった作品が本当に求めていたものだったんでしょうね。ラストシーンが見つかった時に、青春群像劇を書こうとしたけれど実はこのラストを書きたかったんだ、と思いました。書き終えてみてやっと、『僕の東京日記』は1971年のことだけれど同時にひとつの普遍性なんだとわかったんです。

松井:永井さんは書いてみて、自分のなかで一貫するテーマなどあるんですか?

永井:書いている時は無意識なんですけれど、『自分自身がどういうふうに生きたらいいだろう』ということかな。自己規制をするのか、自分らしく生きていくのか……その狭間で苦しむ人は必ずいます。形を変えながらも、だいたい自分が生きる意味や謎のようなものを描いていますね、結局。でも書いている間は自分でもよくわかってないんですよ。

田上:わかります。自転車の乗り方を忘れるみたいな感じで、うまくこぎ出すとわかるんですけど、一度止まるとまた乗れなくなる……みたいな。

永井:夜中に独りでわからなくなって「助けてー!」って叫んだこともあります。自宅で遭難したみたいになっていました。そんな夜中に松井館長に電話をして「ちょっと聞いてくださいますか?」と相談をしたこともありましたよね。自分ひとりで考えていても答えは出ないけれど、同じことを誰かに説明していると問題点がクリアになっていく。不思議ですけど、そうやって『僕の東京日記』のラストシーンも生まれましたから。

田上:わかります。誰かと話していると考えがまとまりますよね。

松井:お二人は他者に対してオープンですよね。創り手は自分の内に閉じていく方が多いんですが、二人とも種類は違うけれど、共同作業ができる。より外に広がっていく感じがして、期待感を持ちます。

永井:あと、行き詰まった時には、歩く、寝る、チョコレートもいいですよ。そして松井さんに電話をする。

松井:お待ちしています(笑)

 

■客席からの質問

松井:それでは、会場からの質問をお受けしましょう。

 

(田上さんは、自分が産まれていない時代をどうやって舞台に反映させるんでしょう?)

田上:ヒッピーや学生運動についてはその存在は知っていましたが、上演にあたってさらに本を読んだり、インターネットで調べたりしています。とはいえあまり詳しく調べるとその存在意義から逃れられなくなってしまうので、バランスを気にしながらリサーチします。あと、時代のことを親に電話して聞くこともありますね。

松井:実は、初演で新劇女優役を演じていた女優さんの旦那さんが、今回の舞台監督なんですよね?

田上:そうなんです。台本でわからないことがあったら「帰って妻に聞いてみます」と言ってくれます。何回か助けていただきました。

 

(永井さんはどれほどの時間をかけて今作を書いたんですか?)

永井:思い出せないけど……構成期間も入れると、6ヶ月くらいかな。実際に書いたのは3ヶ月くらいかも。1日に換算すると1枚ほどですが、実際には5枚書いて全部捨てることもありますし、一気に10枚書くこともあります。

田上:書くのは夜ですか?

永井:できるだけお昼に書くようにしているんですけどね。昔は夜書いて、朝カラスが鳴いてゴミを出してから寝ていました(笑)

 

(登場人物17人に加え、18番目に猫がいるのでは……というほど登場します。犬ではダメなんですか?)

永井:ダメです。猫です。発情期の猫が「ふぎゃあああああああ」と戦う声を聞きながら書いた作品なんですよ。盛りのついた猫が、盛りのついた1971年の時代のように『僕の東京日記』という作品に合っている気がしているんです。

 

(永井さんは書く時に取材はされるんですか?)

永井:取材と体験が混ざっています。学生運動や全共闘運動の、とくに思想についてはわからないので調べました。でも最近の方が昔より調べて書くようになりましたよ。調べたことはすべて書きたくなってしまうんですけど、調べたことをいかに書かないかというのが勝負だと思っています。あと、観る人の心を一番打つのは、誰かが現実にギリギリの状態で言ったり書いたりした言葉なんです。自分の作品で、お客さんが反応してくれたなと感じる部分は、実は誰かが実際に体験したことがほとんど。ですから、調べるというのはつまり可能性を広げることなんです。自分以外のことを知るのは、作品を書くうえでわりと大事ですよ。

松井:では最後に、どんな舞台になりそうですか?

田上:僕はこの作品がすごく好きなんですよ。でもあまりに台本に心酔しすぎると僕なりの演出できないので、脚本には書かれていない余白を自分で想像するように心がけています。それによって手応えのある作品に仕上がってきています。また、僕はこの作品を2年前に大学生のみで上演したんですが、全員20歳前後だと若くて躍動感のある舞台にはできるんですけど、もうひとつ先の深みが出せない。今回は俳優さんもカラーの違う素晴らしい方々ばかりなので、しっかり深呼吸しながら創っています。すごく厚みのある舞台になりますよ。

(レポート・写真=河野桃子)

 

 


キラリふじみ・レパートリー新作
『僕の東京日記』

 

 

 

 

 

 

 



  • 日程
    2017年9月15日(金)~19日(火)

開演時間
15(金)19:00
16(土)14:00
17(日)13:00/18:00
18(月・祝)14:00★
19(火)14:00
★=アフタートークあり

◎詳細はこちらをご参照ください。


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