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2016年05月31日 - 『Mother-river Welcome~華麗なる結婚~』 作・演出:田上豊インタビュー


―今作『Mother-river Welcome~華麗なる結婚~』(マザーリバーウェルカム)は、
キラリふじみで3年間再演を続けてきた作品の続編ですね

はい、『Mother-river Homing(マザーリバーホーミング)』から5年後の物語です。前作は「実はもう一人兄弟がいた!」という話でしたが、今回は“結婚”がテーマ。続編とはいえひとつの独立した物語なので、前作を観ていない方でも楽しんでいただけると思います。

 

―なぜ“結婚”を題材に選んだのでしょう?

 板倉家の家族が再び集合する話にしたかったんです。でも、親戚がしっかり集まることって、僕のプライベートで考えても最近では冠婚葬祭くらいしかない。葬式よりは結婚だよな、と“結婚”に決めました。しかも “結婚”というテーマは、家族を描こうとした時にかなりしっくりきたんですよ。他人が新しく家族になることは、単純にハッピーなだけじゃない。誰かがひとつのコミュニティに参入してくる時に、前向きに受け入れられる人もいるし、拒否反応が起こる人もいる様子を描こうと思いました。前作では「家族」を描いたけれど、今回は家族にとっての善悪を表現したかったんです。

登場するエピソード自体は、前作のようにまた僕の親戚がモデルになっています。今回は、僕の両親が結婚する時に実家と揉めた話がベースです。脚本を書くために両親に取材しましたが、大人になってから聞くと、昔とはまた違う角度で話が見えてくる。自分も“結婚”を経験したこともあって、同じエピソードがまったく別の輝きを持って僕のなかに入ってきました。「ああ、そういうことだったんだ!」という発見もあり、いろんな年代や立場によってひとつのエピソードが違ってみえるという状況を描く参考になりました。

 

『Mother-river Homing』再演(2013年)


―今作には、“結婚”のほかにもうひとつ、軸になる物語がありますね

そう、実はもうひとつ大きなエピソードが絡んでくるんです。最初は25歳になった三女・由美(下池沙知)の結婚だけを軸にしようと思ったんですが、物語としてもう少し複雑にしたかった。とりあえず書き進めていた時に、僕の地元である熊本で地震がありました。母に連絡したら、避難場所に行けば良いのに「空き巣が入るから家を離れない」って言うんです。その話が後押しとなって、「家族に近づいてくる者」という点で、2つの軸がねじれていく作品にしました。この構造は、シェイクスピアの『夏の夜の夢』と似ています。あの話も、ある夏の夜に、若者の恋愛沙汰と職人の芝居づくりという2つの軸が妖精のいたずらによって複雑に絡み合っていく。そのイメージで、『Mother-river Welcome』はお盆の時期の話にしました。

 

―再び同じ家族を描いてみてどうですか? 

アルバムをめくっているような感じがありますね。前作の『Mother-river Homing』が1枚目の写真で、今回は2枚目の写真を見ているようです。写真を眺めていたら、当時の物語が浮かび上がってきて目の前で繰り広げられる……そんなふうに、いくつもある家族のエピソードのうちのひとつを垣間見ている感じです。それぞれ時代が少し違っているから、お客さんもその変化を楽しんでいただけるんじゃないかなと。役によっては、前作と同じ役者さんが演じているけれど、「あ、ちょっと年取ったな」「部屋のようすも少し変わってるな」と、テレビドラマのシリーズみたいに感じられると思います。前作は、1980年の板倉家が舞台ですが、今作では1985年になっていますから、5年ぶりに集結した雰囲気が出ています。その時間の経過を表現できるのは、演劇ならではの面白さですね。

  『Mother-river Homing』再々演(2015年1月)撮影:青木司

 

―5年が経ち、板倉家の家族たちにも変化があるのでしょうか

5年後の家族の現状は、少々酷い状況になっています。離婚したり借金を背負ったり、5年の間にいろんなことが起きているので、その変化を通して、前回とは別の物語を描きたいと思いました。

というのも前作『Mother-river Homing』を上演した時、「実家の親に電話しようと思った」という感想をくれた方がたくさんいたんです。物語的には「6兄弟には、実はもう一人の兄弟がいた!?」という独特な家族のエピソードなのに、お客さんは自分の家族と照らし合わせて観てくださっていた。僕としては「こんな家族いないわ!」と言わそうと思っていたのに、予想を裏切って、観客のみなさんに受け入れられちゃったんです(笑)今作でもまたとんでもないことが起きるわけですが、前回と似たようなものではいけないな、と。家族って単純じゃないし、いいことばかりでもない。家族というものを描くためには、観てくださる方々に新しい家族の肖像を提示しなければ、と思いました。

だから5年の間に板倉家には変化が起きています。それぞれいろんな悲惨な経験をしているし、家のようすもちょっと変わっていて、隣人も違う。その変化は当然で、現実の人生だってそうやって進んでいるんですよね。そんな時間の積み重ねのなかで、世代の違う人達がそれぞれの価値観で行動している。板倉家は一番上の母親から孫まで46歳も離れているから、当然、考え方がまったく違うんですよ。お互いに「なんでそんなこと言うの?」と理解ができないこともある。善悪は表裏一体で、いろんな価値観がある。そんな家族の集合体を見せたいと思っています。でも基本は同じ家族ですから、みなさんが受け入れてくださった板倉家の雰囲気のままではありますが。

 

―キラリふじみは田上さんにとってどんな場所ですか?

定期的に帰ってくる場所だという感覚です。5年間キラリふじみで作品を創るなかで、地域の公共劇場で創作する魅力と怖さを感じています。ここでは演劇を見慣れている人とあまり観たことのない人が混ざり合っているので、作品そのものが純粋に問われる気がするんですよ。劇場に来て面白かったかどうかをシンプルに評価される。だから上演後にいただくアンケートなどが斬新なものもあり、とても創作の刺激になっています。

 

 

 

 

 

 

 



公演に併せて行ったワークショップ(2013年)

 

―周辺に住む方々と接することも多いですか?

公演期間以外にもよくお会いします。キラリ☆ふじみで稽古していると、近所の方が休憩しに来たり、展示を見に来たりするんです。その時にみなさんから「あの作品観たよ」と話しかけてきてくれますね。最近では本格的な芸能の話をする方もいるんですよ。「このあいだ義太夫を聞いたんだけど、君のあのシーンと似てたよ」なんて、もう僕より芸術に詳しい(笑)きっと地域の人たちは太鼓や落語などいろいろな芸術活動をしていて、その経験と演劇を照らし合わせて僕に問いかけてきてくれる。それがとても面白くて新鮮です。キラリ☆ふじみという劇場は市民にとって、ただ芸術を観にいく場所というよりも、ここで創られているものは自分たちの共有財産だという意識が高まっているんじゃないでしょうか。だから感想がシビアですし、こちらも生半可なものは創れないと身が引き締まります。

 

―続編ですが、新しいメンバーも多いですね

スタッフはほぼ同じですが、出演者は約半数が初参加ですね。でも新作なので初参加かどうかはあまり関係ないですよ。前回からのメンバーの方が多少、劇中の熊本弁や稽古の雰囲気に馴染むのが早いくらいかな。たとえば四男を演じる用松亮さんは、別の本番があって稽古の序盤にはほぼ参加できていませんでしたが、前回公演の経験があるからなんとかなる。その反面、前回からのメンバーは板倉家のイメージが固まってしまっている部分もあるので、5年後の物語として、それぞれの関係性が変化しているということを更新しなければなりません。なんせ、強烈な新規メンバーがたくさん登場しますので(笑)

例えば、孫娘(あゆみ役)を演じる東毬絵ちゃんは、今作が初舞台です。それが逆に刺激的ですね。彼女はお芝居の経験がまったくない。俳優経験が長いとどんどん技巧派になっていくけれど、彼女にはそれが通用しません。一人だけまったく違うカラーで存在していて、面白いですよ。

 

―登場人物は当て書き(役者に合わせて脚本を書くこと)ですか?

このシリーズに関しては、そうです。基本的にはみんな“地”の良さを生かしてで舞台に立てるように演出しています。たとえばお母さん役の羽場睦子さんは、舞台設定でも、創作現場の立ち振る舞いでも、大黒柱。みんなのお母さんという感じです。あと、次男役の櫻井章喜さんがチラシの写真撮影のときに別の本番中でヒゲを生やして来ていて「そのヒゲじゃ警察官の役は無理が無いか?」ということで、「出世した」という設定に変えたりと、役者の状況に脚本や演出を合わせたりすることもあります。とはいえ、実際の家族にように見えなくてはいけないので、登場人物としてのだらしなさやクセや生活感は一体感がでるように日々の稽古ですり合わせていきます。稽古場以外でも、急に羽場さんが誰かに役名で呼びかけたりしていますね。普段のコミュニケーションの濃度が舞台ににじみ出ることがあるから、演出家がいないところで家族を疑似形成しているんでしょうね。全員が家族にみえるようになった時、作品が仕上がるんだと思います。

 

 
『Mother-river Welcome』出演者
配役はこちら

 

―稽古を見せていただきましたが、みなさんすごく楽しそうですね

なんでしょうね(笑)同じ人が何度もダメ出しを受けても稽古場が凍りついたりせず、むしろみんなが愛のある明るい叱咤激励を飛ばして笑ったりするんですよ。お芝居自体も歌が多くて賑やかですし、アドリブで爆笑することも多いですね。

 

―アドリブは本番もあるんですか?

稽古の時だけですね。今はまだいろいろな表現を探っている段階なので、決まったセリフだけを言うだけではもったいない。「台本にないところで何が起こっているのか考えてやってみて」という提案をみんなにしているんです。稽古場はモノが産まれる場所です。演出家が役者より偉いわけでもないから、それぞれが提案して創っていく『共作』をしたいんですよ。すると、みんながどんどんいろんなことをやりはじめる(笑)

前作からのメンバーに加えて、今作からのメンバーも相当なアイデアをぶちこんできますから、それを受けて僕のほうで、台本にセリフを足したり消したりします。

でも楽しいだけじゃなく、厳しさもありますよ。例えば、代役メドレーと勝手に呼んでいるシステム(無茶ぶり)なんですが、あるシーンに対して、本役以外の全ての人に演じてもらうものです。実際にこれを行うと、みんな代役とはいえ手を抜けないので、「自分だったらこう演じる」という前提のうえで、誰か一人が面白いことをすると、全員が面白いことをしなきゃいけない雰囲気になってくる。みんな必死で、なにか傷跡を残していこうとする。役者さんはキツかったと思いますよ。でもみんな平等に同じ大変なことをさせられるという時間はけっこう大事。全員が等しく無理させられているから、終わったあとに、戦禍の炎を抜けてきた戦士みたいになるんですよ。

そんなふうに俳優同士や演出家が立ち向かい、世界観をぶつけ合って戦う稽古も必要だと思います。

 

―創作の現場は厳しい瞬間も多いと思いますが、田上さんはなぜずっと演劇を続けているんですか?

みんなで一緒にモノを作るのが好きなんですよ。しかもいろんな人間が集まっているから、当然思いどおりにならない。若い時はそのことに「あーもう!違うよ!」とイライラしていたけれど、自分が思っている通りにはならないものなんだと受け入れてからはすごく楽になりましたし、楽しくなりました。むしろ今は、僕の想像にはない表現を稽古場に持ってきてほしい。台本は設計図ですから、その設計性や土台のイメージを伝えた後に、それをみんなに渡して「今回はこんな遊び道具なので、これを使って自分たちでも遊び方を考えたら面白いと思うよ」と一旦お任せするんです。そうすると、俳優は演技で、スタッフはそれぞれのセクションで、より良いものを提案しようとしてくる。全員が「もっと面白いことをしてやろう」と小さな隙をも狙う厳しさのなかでひとつの作品を創る感じが演劇なんだなと思いますし、その結果、その時のメンバーでしか辿り着けない予想以上のものが出来上がる。そういった活動性が好きなんだと思います。

(聞き手 河野桃子)

 

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