年間プログラム

2019年09月25日 - キラリ音楽祭矢野誠プロデュースfinal特別企画:矢野誠8時間ロングインタビュー『音楽の中へ』:第三章:実年・求心の候

■■■2011.05.14-15:矢野誠プロデュース『1974』 
                          - 第一夜『摩天楼のヒロイン』 / 第二夜『噫無情』 -

 

-----矢野さんプロデュースのキラリふじみコンサート・シリーズは、どのような経緯で始められたのですか?

館長の松井さんは演劇畑出身で、元々ひらたよーこさんが知り合いだった方です。それで、『少年』のリハーサルをキラリふじみで行った時に、「2人だけでやっているのにも関わらず、ずいぶん音が多いですね」って言われたの。ポリリズムというのはそういう風に聴こえるからね。そこで興味を持っていただけたようで、「当館のアソシエイト・アーティストとして何かやってくれませんか?」とオファーを受けたのが始まりです。

 

-----1回目は『1974』と銘打っての第一夜・南佳孝『摩天楼のヒロイン』、第二夜・あがた森魚『噫無情』の再現コンサートでしたね。

最初に言ったようにドント・ルック・バックでここまでやって来たわけだけど、少し考え方を変えましてね。キャリアの初めに深く関わった作品と向き合うのなら、振り返るというよりは再確認。あの時と今、何だったんだろうって。ただ再現するだけじゃなくて今それをやったらどうなるか、そういうことに興味を持ったのかも知れない。みんなそれぞれに突っ走ってきたからね。松井さんに話したら、「それは面白いですね。その頃、僕は客として観ていたかも知れません」と歓迎されたので、じゃあやりましょうって。

 

-----意識と創意の持ち方で、如何様にも前を向けると。

そういう気持ちがますます激しくなってきて、この前は友部(正人)君ともやりましたしね。『雲のタクシー』の楽曲では余裕で混ざり合えたりもして。お互いにやってきたことが違うというハレーションが緊張感を生んで面白いところもあるけれど、それさえ超えた醍醐味があったと感じます。僕の弾き方も直に映えるよう、シンプルかつストレートになっていったし。それはだから、『1974』の時に確信したのかも知れません。

 

-----『1974』の前週にはムーンライダース35周年記念『火の玉ボーイ・コンサート』があって、そこでは矢野顕子さんと隣り合わせで演奏されていましたね。

この時期はそういうのが渦巻いていたよね。村井(邦彦)さんや松本(隆)君も前後でアニヴァーサリー・イヴェントやったでしょう。いずれにしろミュージシャンたるもの、招かれたならば行くしかない。そして、「あら久しぶり」なんて挨拶も早々に(笑)持ち場へ着いている。顕子さんとは息子の結婚式などでも会いますからね。坂本(龍一)君も。ミュージシャンというのは、前提があるようで何もない稼業だから面白い。ずいぶん久しぶりだなって、それだけで済んでしまう(笑)。だから、昨日やったことのように音を出してくるんだよ。

ムーンライダース『moonriders LIVE at MIELPARQUE TOKYO HALL 2011.05.05 “火の玉ボーイコンサート”』

 

 

-----時間の流れが普通と違っていて、何だか玉手箱を持っているような感じじゃないですか?それも可逆の。

そうですね、それは使った方がいいと思うよ(笑)。使う機会がどれぐらいあるかってところだと思いますよね。そこでは、プロデューサーやディレクターと呼ばれる人も大切な役割をしているんじゃないかな。ミュージシャン同士はみんな一匹狼だから、彼等の声掛けがないと呼び合わないでしょう。そういう意味でも、キラリふじみの館長には感謝しています。きっかけを作ってくれたから、僕もアメリカ式のストレート・コールで一人一人電話出来たわけで。すると、みんな平気でスッと集まってきてやり始めるでしょ。お互いに餅屋は餅屋の役割があるんだなと。主役の(南)佳孝とあがた(森魚)君。(鈴木)茂と小原(礼)とユカリ(上原裕)と僕の4リズムに、ライダース一派から(鈴木)慶一と武川(雅寛)君と駒沢(裕城)君。緑魔子さんも出演してくれたし、『摩天楼のヒロイン』と『噫無情』のプロデューサーである松本君も来てくれて、それは奇跡的な二夜だったよね。

『1974』(2011年)

◆『1974』アーカイヴ→http://www.kirari-fujimi.com/program/view/43

 

■■■2011.12.03:音樂会『星のつぶやき』
    ~2012.09.03 & 2013.10.20:合唱コンサート『地球のことづて』

 

-----同じ年の後半には、地元の方々とのワークショップを開催されています。

それは90年代にパルコ劇場でやったワークショップ、サリマノックと一緒です。ソングライティングとは何か?をお題目に、ビートからメロディーに入っていくという。その過程で、即興で喋ることから歌うことに転化していくというようなことをやってみたんですよ。そこで出来た曲をベースに、よりテクニカルなリズムやハーモニーを追求していくと合唱になりますよね。それを館長に聴いてもらったら、「ああ、これはここにぴったりですね」って。

 

-----その合唱のアイデアが『地球のことづて』イン・キラリふじみに発展するわけですね。

2回目からは、その土地で何ができるかという考え方になっていました。それで、富山でやったことを布石にして、またオーディションから始めていくわけです。40名以上の市民参加で準備期間もそれなりに要して、半年ぐらいはリハーサルやいろんなことに費やしたかな。

 

-----『地球のことづて』は2012年、2013年と2年続けての公演となりました。

2012年の公演は、キラリふじみ開館10周年と富士見市市制施行40周年事業としての取り組みでもあったからスケール・アップしています。多田淳之介さんの演出で入念に仕込んだし、東海林尚文さん、関仁美さん、狩野和世さんという素晴らしいソリストとも巡り会えた。地元の反響共々、大きな収穫でしたね。2013年の公演は市民の皆さん中心の構成で、僕もシチュエーションに合わせて簡略化したり書き直したりしています。より完成度にこだわっての工夫としてね。今度のコンサートは、2013年の公演に近い感じになると思うな。そこに僕のピアノと浜口(茂外也)君のパーカッション、阿里松(慶一)君のベースが加わって導いていくという。

◆音樂会『星のつぶやき』アーカイヴ http://www.kirari-fujimi.com/program/view/23



『地球のことづて』(2012年)

◆『地球のことづて』2012アーカイヴ→http://www.kirari-fujimi.com/program/view/174


 『地球のことづて』(2013年)

◆『地球のことづて』2013アーカイヴ→http://www.kirari-fujimi.com/program/view/398

 

■■■2015.02.15:『あむ』 ~ 2016.02.28:『うた』

 

-----次は矢野さんの代名詞でもある『あむ』ですね。

「矢野さん自身を掘り下げて、興味のあるところでやるとしたら何ですか?」と訊かれたから、「最近では『あむ』ですね」と間髪入れずに答えました(笑)。だから、4回目は思いっきり『あむ』になっている。遡ること2001年に西荻窪で、『あむ』のヨーロッパ・ツアーを手伝ってくれたおちよさんとイヴォンヌの母娘、小川美潮、天内雅子による女性4声コーラスでコンセプトの再現を試みたことがあるけれど、そういう前例も踏まえてコーラス・パートは亀渕友香さんに相談しました。すると、「わたしは歌わないわよ、もう十分歌って来たから。今度はもっと若い子でやりましょう」って、亀渕さん率いる大所帯ゴスペル・グループ、ヴォイス・オブ・ジャパンからアカペラ・グループを選抜してくれたの。“やのはな”という名前まで付けてくれた。そこにひらたよーこさんも加わり、『あむ』の核となるポリリズムを僕と国吉良一君のピアノとハモンド・オルガン、それに浜口君で操りながら、文字通り音と声を編んでいきました。

 

-----その次の『うた』というのは?

この辺りで、ポピュラー・ソングを作ってみたかったみたいだね。ちょうどその頃、出会った若いシンガー・ソングライターに書いてもらった詞や、現代俳句を繋げたものに曲を付けて、合唱で知り合った素晴らしいヴォーカリストである狩野(和世)さんや下平(尚輝)君に歌い上げてもらいました。引き続き“やのはな”にも手伝ってもらいながらね。バンドは『あむ』のレギュラー・メンバーである上山亮、阿里松慶一、大光亘に、僕と浜口君。琴の奥村(友紀)さんは亀渕さんの事務所の女性です。『百和香』ぐらいから琴が映える曲、結構作っているんですよ。おふくろや叔母が弾いていたこともあって相性が良いのは前に話した通りで。だから結局、『うた』も『あむ』なんですよね。だけど今の感じでポップスを作りたかったということ。

 

-----毎回いろんな経験からの含みがあったということですね。

もちろん、常にそうだよ。いきなり音符から音符だと職人の方に行き過ぎちゃうから、メロディーが出なくなってしまうこと。筒美(京平)さんから、「船にはすぐ乗らないとだめだよ。乗り遅れると次の船まで待たないといけないから」なんてよく言われていたことを、ここにきてまた蒸し返していたような気がします。ジョージ・マーティンも、「何故ビートルズはあんなに売れたのかとよく訊かれるけど、僕らタイミングが良かったんだよ」って、芸術とロックを融合したものをみんなが欲しがっている瞬間にボンッと出していた。ライフ・イズ・アートなんて不可思議な言葉も、タイミングよく乗っかってみると何となくわかったような気がしましたよね。生きること自体がアートだからって。

 

-----なるほど。ではここでフォーカスしたメロディー・メイカーということについては?

僕等がいろんな音楽をプロフェッショナルとして始めた頃、既にアメリカなんかでは相当な歴史があって、そういうのを聴いて吸収しているわけですよ。例えばスクリーン・ミュージック、それからジャズのスタンダードでしょ。スタンダードというのは素敵なメロディーがあるから生まれてくるわけで。そして、メロディー・メイカーの時代の最後を飾る人がバート・バカラックじゃないですか。それまでにも、時代時代でいろんな逸材が存在したわけだけど。

 

-----ジョージ・ガーシュインとか?

ガーシュインはね、僕の中ではドボルザークと重なって割とソウルの人だと思っている。後はヘンリー・マンシーニーとかトム・ジョビンもそうだけど、みんな好みで数々いましたね。その頂点ということで言えば、やはりショパン。ピア二ズムの原点で「雨だれ」なんて聴くと本当にそう思う。チャイコフスキーも、編曲技術ではブラームスに負けるがメロディー・メイカーとしては負けないぞと、そこに賭けていたような節がある。とにかくメロディーというのは、黒人も白人も関係なく、コンサートが終わった後にふと口ずさんだり、口笛吹いて帰るぐらいまでに憶えてもらえるかな—-というところだと思うんですよ。目指すのであれば。それに加えて、僕等の歴史はサウンドの歴史の10年から始まっているでしょう。だから「エリナー・リグビー」のように弦楽四重奏で大胆にリズム隊を構築したりして。そういうことにも興味を持てる場所にいたわけで、そのファクターも大きく絡んでいます。


『あむ』(2015年)

◆『あむ』アーカイヴ→http://www.kirari-fujimi.com/program/view/435

『うた』(2016年)

◆『うた』アーカイヴ→http://www.kirari-fujimi.com/program/view/463

 

■■■2016.10.15-16:キラリ音楽祭2016

 

-----ここで一回りした感じですね。

だからその後、歌謡ショーみたいのをやり始める(笑)。これはやっぱり、僕等のサウンドで1回やってみたかったんですね。(鈴木)茂や小原(礼)君、それにユカリ(上原裕)で。もちろん、館長の方からも音楽祭開催の要望がありまして、2016年の2デイズ公演にはいろんな方々をお呼びしました。ぴったり合う人から、違うフィールドだけど一緒に音出せると嬉しいなっていう人まで。

 

-----多彩な面々ながら、矢野さんならではの人選ですよね。

そうなりましたね。太田裕美さんとは、僕が筒美さんの事務所に出入りしていた頃にバス停でお会いしたことがあります。まだデビュー前で、いずれ松本君の詞で大ブレイクするなんて知る由もなかった。元ちとせさんとは面識ありませんでしたが、音源聴くと島唄でしたね。奄美でしょ。喜納(昌吉)さんともまた違うおおらかな力強さがあった。スガシカオ君は、センスというものを完璧に前頭葉に入れたポール・サイモンみたいな都会派。あと尾崎亜美ちゃん、中山ラビ、上田正樹は同じ時代の同志だし、奇妙(礼太郎)君は時代を継ぐべき希望の星ですね。

 

-----事実上はっぴいえんど、サディスティック・ミカ・バンド、シュガー・ベイブ選抜というバンド・メンバーも特別でした。

昔からの気心知れた仲間だから、特別という意識はないかな。やはり同志であり求める音を出してくれる腕利きとして、僕のアレンジとピアノを十二分に活かしてくれたのは頼もしい限りでしたが。『1974』の時もそうだったでしょう。でもまあ、観る方、聴く方からすればスーパー・グループに映るということだよね。そして、その期待に応え続けているからこそ特別な存在でいられるのかも知れない。そこはみんな自覚して未だに精進していると思いますよ。

 ◆キラリ音楽祭2016 アーカイヴ→http://www.kirari-fujimi.com/program/view/505

 

■■■2017.9.30-10.01:キラリ音楽祭2017
             ~ 2018.10.27:キラリ音楽祭2018

 

-----2017年は初日がバンド演奏、2日目がピアノ四重奏と、それぞれ趣向を変えていますが。

人選もそれぞれ旧知の方と新しい人の組み合わせにして、イベント自体に豊かな色合いを持たせるという目論見です。阿里松慶一、大光亘、浜口茂外也、窪田晴男というほぼ常連メンツによるバンドでは、小椋佳さん、曽我部恵一君、ヴォイス・オブ・ジャパンの藤田尚之君をフィーチャーしてね。曽我部君とまた一緒に「あじさい」をやれたのは嬉しかったな。ヴァイオリンの中村響子さん、ヴィオラの飯田香さん、チェロの郷田祐美子さんと僕によるピアノ四重奏では、イルカさん、奇妙礼太郎君と一緒に。バンドと弦カルというアレンジのコントラストは、当初から僕が追求し続けているライフ・ワークですから。

 

◆キラリ音楽祭2017 アーカイヴ→http://www.kirari-fujimi.com/program/view/536
 

-----2018年も旧知の方と新しい人の組み合わせでしたね。

Lampは松井館長の甥っ子たちのグループです。彼等自身のバンドで来てくれました。楽曲は色々で、リズムや転調もなかなか凝っている。楽器も多くて音も結構入っているんだけど、すごく透明なんだよね。そういう団子にならないクールな音っていうのは、ジョビンの影響を受けたジェイムス・テイラーなんかがずっとやってきていることでしょう。誇張のないアコースティックなダイナミクスのあるアレンジメントとサウンド・プロデュース。そういうものを耳で理解してリスペクトしてきた僕なので、彼等の音楽にはとても共感できます。

 

-----もう一組は、浅からぬ所縁の石川セリさん。

そう、実は一番初めにお呼びしようと思って叶わなかった、僕の思い入れ深い人といったら石川セリさんですよね。そもそもは別の仕事でアレンジしていた時に偶然出会ったんだけど、すごく相性が良くて何作もやることになるじゃないですか。忘れられない人ですよね。今世紀に入ってからもう一回、出会いたかった人とはやったでしょう。小坂(忠)君とか(吉田)美奈子とか、ブレバタの(岩沢)二弓君とか。そしてセリさんともやれたからとても感慨深いです。篠崎正嗣カルテットの弦に、僕のピアノ、阿里松君のベース、浜口君のパーカッションという和やかな編成でした。


◆キラリ音楽祭2018 アーカイヴ→http://www.kirari-fujimi.com/program/view/556

 ※キラリ音楽祭写真2016~18 all photo by 三浦麻旅子

-----そして、キラリふじみコンサート・シリーズは10月20日、次の回で終わりですよね。ファイナルとなる『音楽の中へ』への心境を最後にお聞かせください。

キラリふじみでは僕のやりたかったこと、もっと深く掘り下げられたとも思うけど、大体はやらせてもらいましたよね。館長の松井さんも、割とアイデアが多くて幅の広い人で。そうすると、シンガーのような主役だと他の事はやれないから企画の仕切りは難しいですよ。少し引いた立場にいる僕のようなアレンジャー/プレイヤー/サウンド・プロデューサーというのが、やはり適任だったのかなと思います。それも最近は、いろんな試みを続けているうちに何でもありみたいになっちゃって(笑)。ただ、器楽奏者ゆえに歌や声の魅力に惹かれ続けているのも事実なので、そこを追及した『少年』と『地球のことづて』をもって有終の美を飾れればと思っています。内容は全て現在進行形で、成長し続けている楽曲をお届けしたいですね。果てさて、これでもう終わりかな---なんて思っていると、何だか次が見えてくる。毎回そうだから、なかなか終わらないんですけどね。

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